何もない世界

日々感じたことを書いています。

自分と世界のバランス

今世界の人口が70憶人くらいいて、世界中の人全員に会う事は出来ない。実際に一生のうちに出会う人は1000人とか2000人ぐらい?

そんな中で、本当に分かり合える人とか、所謂「運命の人」に出会うのはほとんど不可能だと思う。

今の時代、一生結婚しないという生き方が許容されてきているけど、それでも多くの人が結婚する。きっとその人達は、この人こそが運命の人だと思って結婚しているのかもしれないけど、運命の人だと思って結婚しても、離婚する人もたくさんいる。

そりゃそうだと思う。だって結婚する前に、多い人でもせいぜい10人ぐらいしか付き合わない。それでも70憶分の10人。もはや途方もない。これだったら10人付き合おうが、100人付き合おうが大差はないと思う。しかも都合よく自分の周りにいるわけない。そんな中でも「運命の人」が本当に存在するんだとしたら、出会えないのが普通だと思う。

今でこそ自由に相手を決められるけど、昔の日本は親同士で勝手に結婚相手を決めるとか、身分の違いとか、それこそ戦国時代とかの政略結婚とかあった。今の時代でも自由に結婚相手を決められない国があるかもしれない。きっと結婚するときに初めて顔を見て、「うわあブサイク」とか「生理的に無理」っていうことも勿論あったと思う。でも自由に相手を決められる現代より離婚率が低かった。今より簡単に離婚できなかった事も理由だと思うけども、現代人は人を選り好みしすぎて、自分のタイプにそぐわなかったら別れるとか、離婚するとか。やっぱり70億分の100人も、70億分の1人も大差ない。それとも昔は「運命の人」なんて概念が存在しなかったのか。

 

人間同士、本当に分かり合えるのは不可能だと思う。もし本当に分かり合える人が存在するとしても、その人と出会う確率は途方もない確率で、もしかしたら異国の人で、言葉も人種も違うけども、何年も根気よくコミュニケーションをとっていたら分かり合えた、なんてこともあるのかもしれない。でも普通言葉も通じない外国人と時間をかけて分かり合おうとは思わない。きっとどこかですれ違って、一生出会うことはないだろう。

 

分かり合う事は不可能。でも人と繋がっていたい。

シンプルに考えると、世界には男と女がいる、だったら身近にいる男1人と女1人を選んで、その2人を世界中のすべての人間と考えたらいい。彼らは世界中にいる男女の代表者で、彼らの考えが世界中の人間の考えだとしたら、世界中の人間の考えが分かる。

 

今の僕がまさにそうだ。今友達と呼べるのは2人で、男1人と女1人。それぞれ年に2、3回会うくらいで、彼ら以外の人とは深く関係を持たない。

イメージは、丸い地球の上に僕が立っている。僕の友達2人が地球の半々にいて、僕の足の裏と繋がっている。僕の考えとか自我と呼ばれる部分が、宇宙空間にどんどん伸びて行きそうになるのを2人が押さえている。世界中の人間は地球に溶けていて、マーブル模様みたいに混沌と渦巻いている。時々マグマみたいにボコボコと頭を出す人がいる。あまり友達2人と頻繁に会いすぎると、足の裏からどんどん地球に溶けていく。男1人に偏りすぎると、片足だけ沈みすぎて、自分と世界のバランスが悪くなって頭から倒れてしまう。そして人間の混沌の中に混ざってしまう。でも世界の繋がりを断ってしまえば宇宙空間に投げ出されて、2度と戻ってこれない。

 

 

そんな今日は1週間ぶりに友達に会う。行ってきます。